ドロミテ 白川義員さんの写真集「ALPS」とZOPPE村の思い出
今日は私が初めてドロミテと出逢った思い出を少々・・・
って、長くなっちゃったけど(^^:)
今日、ずっと探していた白川義員さんの「THE ALPS」がメルカリで出ていて購入し、届きました。経年焼けしているのと1969年という、半世紀前の印刷技術の違いで、写真展で見た神々しいまでの山々の写真の色とは違うものの、白川さんの撮る山々の神々しさ、素晴らしさは十分に伝わってきます!
わたしが初めてドロミテを知ったのは、この白川さんの写真展で見たZOPPE村からのPELMOとローゼンガルテン、もしくは佐貫亦男さんのアルプスの本かどちらかだだったと・・・(記憶が定かでない・笑)。それからしばらくして、BS音楽紀行でAlpe di siusiの天国のような風景が流れ、これもドロミテと知って、ドロミテへの片思いがどんどん膨らんで。
alepe di siusiとローゼンガルテンが見える村はバスでの行き方をパンフレットから見つけられたけれど、zoppeは観光局もなく、バスの情報も皆無。zoppeはあきらめて初ドロミテはAlpe di siusi
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ローゼンガルテンを見渡せるtiers谷St.ciprianでは、ローゼンガルテンの絶景スポットにあるチプリアーナーホフに。今はとっても大きなホテルに進化していますが、当時はまだ建物もひと棟で。とても気性の穏やかな大きなワンちゃんがいました。オーナー夫婦のお子さんたちが小さくてかわいい盛り。今はすっかりきれいなお嬢さんになってるのでしょうね。
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そしてセッラ山塊を一周する旅となりました。
セッラ峠では、モルゲンロートを見ようとバッチリ早起きしたのに、ホテルのドアの鍵が開いてないというのんびり~な峠の宿マリアフローラ。でもとっても親切なお宿でした。
2001年の初ドロミテの時は、まだ日本ではドロミテは一部の山好の間で語られているだけで、世界遺産にもなっていなかったので、お客さんはヨーロッパの人がほとんど。
2000年に、alpe di siusiの観光局にホテルリストを送ってほしいと手紙を書いたら「日本人から問いあ合わせがあった!」と現地で話題になったらしく、全然知らなかったレノン高原のホテルから「あなたのことを観光局で知りました。レノン村に来ませんか?」と、ホテルとレノン村のパンフレットが届いてびっくり。今だったら個人情報で大問題になりそうだけど、のんびりしていたなあ(笑)。
2004年には、「みんなでドロミテに行こう」のヤフー掲示板がたち、ドロミテの情報が一気に手に入るようになり、念願のzoppeへ。
zoppeでは、見たかった村を抱くペルモ山は、バスからほんのちょっと見えただけで、悲しくもそのあと雲の中に。なんせ、僻地なんで、お昼を過ぎたらレストランもバールも閉まってしまい、お店はマイクロバスの移動何でも屋さんが一代村の広場に止まっているだけ。帰りのバスは2時間後・・・。村を散策してもあっと言う間に回ってしまい、ペルモが見えないと何も見る者もなく・・・。仕方なく、移動者でくだものを買ってバス停でかじりながらしょぼんとしていたら、一年配のご婦人が声をかけてくれました。 その思い出はこちらに
zoppeでは、見たかった村を抱くペルモ山は、バスからほんのちょっと見えただけで、悲しくもそのあと雲の中に。なんせ、僻地なんで、お昼を過ぎたらレストランもバールも閉まってしまい、お店はマイクロバスの移動何でも屋さんが一代村の広場に止まっているだけ。帰りのバスは2時間後・・・。村を散策してもあっと言う間に回ってしまい、ペルモが見えないと何も見る者もなく・・・。仕方なく、移動者でくだものを買ってバス停でかじりながらしょぼんとしていたら、一年配のご婦人が声をかけてくれました。 その思い出はこちらに
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マリアマンマとの思い出
その後、2009年ドロミテは世界遺産にもなり、テレビでも紀行番組で取り上げられたり一気にメジャーな観光地へ。ドロミテは3度行っているのだけど、再訪の時にはのどかだった村に大型ホテルが立っていたり、小さくて家庭的だった宿が大きなホテルにかわっていたり、たくさんのツアー客が来ているのを見ると、ほんとは喜ぶべきことなんだろうけど、ちょっとさびしい・・・。
そんな中でも変わらないのがzoppeの村。数年前に「BSイタリア小さな村物語」で、ゾッペが取り上げられたことがあって、全然変わらないzoppe村を懐かしく見ました。その放送の中でzoppeでとてもお世話になったマリアさんの遺影が写りました。
なんと番組のドキュメンタリーの登場人物のお母さんだったんです。
マリアさんには本当に親切にしていただいて、その後もプレゼンとを贈ったり贈られたり、そしてクリスマスカードのやり取りを数年していたのだけど、ある時からお返事が来なくなって・・・。そうか、亡くなっていたのだなあ、と・・・。
なんと番組のドキュメンタリーの登場人物のお母さんだったんです。
マリアさんには本当に親切にしていただいて、その後もプレゼンとを贈ったり贈られたり、そしてクリスマスカードのやり取りを数年していたのだけど、ある時からお返事が来なくなって・・・。そうか、亡くなっていたのだなあ、と・・・。
マリアマンマから帰国後に送られてきた絵葉書には、こんな言葉が添えられていました。
「ゾッペからのペルモ山が見えなかったあなた方が、この写真と花を見て幸せな思いになれますように」
マリアマンマ・ありがとう。
だいすき。